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執筆者の写真Yuma Dobashi Official

2018、そして2019。



自分のことばかり書いていますが、ここは僕の好きなことや人、物を公言していこうと思って作ったある意味独りよがりな場所。歌はみんなのものであってほしいと願いつつ、ここで書くことは、読みたい人が読んでくれればいいという気持ちで突き進みたいと思います。

さぁ今日もはじめましょう。

今回は、今年の振り返りと来年以降の望みを主題に。


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2018

僕はやりたいことのためなら、"待つ"(耐える ではない)ことも、"変わる"ことも厭わない性格なのだと思う。

何かを待っているとは到底思えない充実した日々と、変わっていきながらもなにも変わっていない根底を抱えて、現にこうして音楽をやっている。


今年も色々なLiveを重ねてきた。

好意だけではないオファーが増えたことは成長を物語っている。

苦手だった歌詞も得意に変え、野外ライブも怖くなくなり、ステージそのものがホームとなりつつある。


そして今年は、今まで深くは聴き込んでこなかったジャンルの音楽を聴きまくった。まだまだ未知の音楽はたくさんあるから楽しみは絶えない。

よく勘違いしてる人がいるけど、音楽なんて、多く知ってる知らないの世界ではない。

好きなら貪るように聴くのだろうし、純粋に好きな音楽だけ聴いていればいいとも思う。

音楽やってるのに誰々も知らないの?なんて言う台詞は本質を見抜けていない人の言うこと。


でも知れば知るほど、懐は広がり、表現できることも豊かになっていくことは間違いない。

これだけ人類の音楽の蓄積があるのだから遡るのは醍醐味であるし、一生で聴ききれないほどあるのはただただ幸せだ。

僕たちは当時のビートルズのメンバーよりも多く、多様な音楽が聴ける。

でも逆に、バッハやビートルズらが生み出した音楽を考えれば、革新的で最高なものはある種、蓄積がものをいう類の話ではないとわかる。


ある人の話からハッとさせられたのは、音楽が商業と結びついたのなんて、人類が音楽をやり始めてから考えたら、ほんの先端の"須臾の間"にすぎず、保存する技術が生まれたのはほんの140年ほど前のことで、それまでは口伝などで残されてきたということ。

何千何万年も歴史があってたったの2世代分。

プロとか、売れるとか、そういうことに関しても、一回根本に立ち返って俯瞰することで、見えてきたこともある。それらは付属物に過ぎない。

だからそこに重点を置いて、ギターやピアノを弾いたり、曲を"考えたり"することに時間をかけるのは正直もったいないと思う。


音楽だけで食べてます。といって、真に"音楽"をやっているか考えたら、そうでもないじゃん、っていう人もいる。

逆に音楽は生業としてなくても、グッとくる音楽をやってる人がたくさんいて、どちらかを選ぶならそちらの方がやっぱり素敵だな。

僕は今年も後者にたくさん出逢ってきた。

自分は後者でありたい。もちろん音楽だけで生活できるように活動をしていくことに変わりはないけど。


最近、100年後も残る音楽、というフレーズを耳にして、それはどういうことだろうかと考えた。

100年前の録音で聴いた音楽は、音質も荒いし曲調も土臭い。が!それはそれは素晴らしくて、静かな感動が込み上げてくる。

今の時代に流れてる音楽達が、100年後に聴かれたとき、どう思われるのか。

100年後にはどんな音楽が流れているのか。

逆に500年前にはどんな音楽が。。

時間軸を直線で考えたら、途方もないし、想像もつかないけど、

どうせなら100年後に聴いても、人間の魂の奥底に響くものを生み出さなきゃ面白くない。

でも人間の根底なんてたいして変わってないし、今の時代に響けば、きっと何年経っても響くのだろう。


兎にも角にも、マイペースではあったものの身のある2018年になったことは、厳しくも温かく支えてくれた大切な人たちのおかげ。

悔しい思いをさせてくれた人たちも含め、みんなに感謝してる。


2019

話は変わって、これに関しては半分は縁とか流れに委ねたいのだが、来年は伴奏者との巡り会いに期待している。

太鼓とストリングス、欲を言えばピアニストが加わるといい。一人はマルチ楽器奏者だとなおのこと面白い。

そのメンバーでLiveを重ねて、レコーディングをする。

アルバムができたらそれをレーベルに持ち込んだりしてマーケットを広げる。

さっきの話とは一見矛盾するが、メジャーのレコード会社と契約を結ぶのは大きな目標だ。


そこからが土橋悠宇、第2の幕開け。

しかしこれらはすべて来年に起こらなくてもいい。

必ず来るその時のために、バネの反発力を、限界値まで高めておきたい。


色んなミュージシャンとセッションも重ねて、幅も広げたい。色んな音楽のエッセンスを取り込みたい。

交われど染まらず、懐は広く深く。


音楽的につまらない、表現として眠い、というのは音楽をアートと捉えた場合、駄作だ。

目で耳で手で心で、色んな芸術に触れ、自分の表現を熟成させたい。


技術に関しては高めるというより、続けていれば勝手に高まるだろうと考えている。

技術よりも大事なことはやっぱりあって、

それは何も音楽だけやっていなくとも学べる。犬の世話や人との関係、生き物の死との遭遇。

何もやる気が起きないときに雲を眺めているだけで大事なことに気づくことが何度あったことだろう。

そんな感性をこれからも磨いていきたいし、それらが、奏でる音楽に影響するのは経験からもわかる。


よく音楽をやるために正社員ではキツいのでは、という見方をする人もいる。

が、今の僕はあまりそう思っていない。

もちろん練習する時間はフルタイムで働いているとそうそう取れるものではない。

多くの人が、東京などで、アルバイトしながら音楽活動をする、というスタイルを取るのなら、僕は確実にその逆を行ってる。

全てを音楽に捧げる彼らに比べたらそんなことでは勝てない。という声もちらほら聞こえてきそうだが、必ずしもその限りではないと思う。

こちらだって音楽から目(耳)を離したことはない。

かなり真剣に向き合っている。

それに今の仕事は融通も利くので充分に恵まれた環境で、今の僕にはベストだと思っている。


時間はかかっても、それは大した問題ではない。

生きているうちに後世に語り継がれる曲を書けば何十年費やそうがいいではないか。

かかってもたかだか数十年。100年残るなら取るに足らないことだ。


とは言っても、あまり待たせたくない(待たせられない)愛すべき人たちがたくさんいるから、どっしりと構えつつ生き急ぐスタイルで、これからもいきたいと思う。


来年はオーディションも受ければデモテープも送り、引き続き出演依頼は喜んで受けるだろう。

その先には必ず想像を越える未来があると確信している。


先にも話した伴奏者たちについて、半分は縁や流れに委ねるとして、もう半分は人事を尽くす。

メンバーを募集します。気の合うリズム隊・太鼓(ドラム)奏者は絶対。あとはなるようになる。集まるべくして集まると思うので、あまりこだわりは持ちたくないが、低音はチェロとかいいなぁと思う。チェロは、目を閉じて聴いていると、チェロになる前の大木が見えてくるから不思議な楽器。僕の音楽にも合うと思う。

みんな最低限の技術とハートがあればいい。

あ、でもアレンジが自然に思い浮かぶくらいのセンスは欲しいかな。結局願望に妥協はできないな。

まだ見ぬあなた達を心から待ってます。


今年の振り返りにしては書き足りないこともたくさんあるけどこの辺にして。

おそらく今年最後のブログです。

1年間(ブログは約8ヶ月間)本当にありがとうございました。

来年もお楽しみに。



僕が大好きな人たちへ

最大の感謝と敬意を。

来年もよろしく〜♪

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