この年(2019)の最期に聴くのに相応しい曲は何かと漁ってみたが、決めることができない。
ならば候補の曲をすべて同時に鳴らしてしまおうか、などと思いついたときに音楽と時間の癒着が恨めしくなる。
この1年、望みとは裏腹に大きな波紋も呼べないまま鳴らしてきた音は、来年は同じように鳴ることも戻ることもない。
来年はまた一段と大きな音を響かせる気でいる。
2019年に、一度だけでも場を共有してくれた方との縁は尊いなぁとしみじみ。感謝。
来年春に向けて作っているフルアルバムは、十里木の春同様ひと月遅れになりそうな、すでにそんな兆しを感じている。いや春が梅雨、または夏に移ってもいいから、これはマズイ(いい意味で)ことになるな、と自分で思えるような代物にしたい。
今のところベストは尽くしているし、やむを得ない状況で生じる遅延はなんらモチベーションに影響しない。
これも縁と運命みたいなものだろうと割り切れる。
なんせ、キャストは漏れなく最高なのだ。
この人がいい、と依頼した人たちとチームで進められるありがたさに変わるものはそうあることではない。
今年はそれらの縁に恵まれた。
冷静に分析すれば、一年前には寄せられなかった人たちが今年の土橋悠宇だから寄せられた、とも言える。
2018には妄想でしかなかったことや、妄想すらしなかったことが今年は起こった。
ならば2020は?
楽しみで仕方がないよ。
展望は語り尽くせぬが、来年は少し在り方を変える。
まず、もうすでにいくつもお断りさせていただいたが、ライブはかなり"的"を絞る。
それによって生まれた時間は創作に専念する。
創ることにもっと時間をかけたい気持ちが強くなったのも2019の収穫の一つだ。
もちろんアルバムを売るための動きも疎かにしない。
新しい波が来れば当然こちらも乗り方を変えるだろうし、なにかにこだわりすぎて取りこぼすことのないように柔軟かつ敏感でいたい。
YouTubeの活発化や作り込んだ一回のライブ、ホームページの刷新など、面倒だけど楽しそうなことが山ほど待っている。
少しゴロゴロ映画とか観る時間も必要だ。
なんといっても、こちらの 忙しい にはボーッとする時間も含まれているのだということをご理解いただきたい。
暇そうに見えて、その時間がかなり大事。
世間の文化レベルの低さ(実は低くないのだが)を言い訳に大衆性を得られないまま終わるのは御免だし、十里木ミュージック否富士山麓ミュージックをアイデンティティにメインストリームに切り込んでいく。
また、来年はさらに右脳刺激しまくりの作品を見聞きし、こちらもそういったものをアウトプットしていきたい。
明日の朝は、どうやら猫の"朝食をねだる声"が最初の音楽になりそうだ。
なんと幸福な幕開け。
今年もありがとうございました。
来年もお楽しみに。
そしてよろしくお願いします。
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