二年前の弥生の月、
京都の老舗ライブハウス"拾得"へ、
オープンマイクに出演すべく出かけた。
3/16。暦の上では春。天文学的にはまだ冬。
その時の京都がきっかけにできたのが「紅葉」。
すべてがリアルな体験です。というシンガーソングライターや作家もいるが、こちらは違う。
ほんの少しの種が想像力という水をあげ続けると嘘のような花が咲く。
ノンフィクションも尊いが、フィクションにできることも多い。
かの歌人劇作家寺山修司氏は、ある小説家が小説に書いた主題通りの人間性を持っている必要は必ずしもないのだ。というようなことを言った。
素朴で純朴な小説を書いた作家が、呑んだくれで女にだらしなくてもそれはそれだ。というようなことを。
それに対して、仲の良かった小説家山田太一氏は、それがどうも腑に落ちないのだというようなことをエッセイに書いていた。
そんな山田太一氏が好きだ。
でも寺山修司氏の言わんとすることもやはりわかる気がした。
「紅葉」は実話か?とよく問われる。
直接尋ねられればはっきりと答えるが、どっちに思われても面白いと思う。
楽曲の解説を一切しないことによって、想像力を掻き立てるDamien Riceのようなスタイルも好きだ。
ミュージシャンが、この曲はこう聴いてもらいたい。なんて自ら意義を狭めるようなことは、多くの場合しない。捉え方は自由だ。
「紅葉」に登場する女性は実は〇〇なんじゃないか?
と、話がドラマチックになる想像もありだし、
そこから哲学的な洞察を得ることもできるのかと、驚かされることもあった。
こちらから、どうこう言わなくても、曲は自ら歩いていく。
確固たるイメージを持って歌いながらも、あなたが感じて、描いた「紅葉」の世界はあなたのものだ。
録音は、昨年の九月に二曲入りで発売したときのもの。
リマスターし、本アルバムにそのまま収録した。
ある時期FMヨコハマやk-mixでも紹介された代表曲でもある。
「蝉」が夏の代表作なら、「紅葉」は秋の代表作だ。
今年もまもなく紅葉の季節がやってくる。
切ない歌だが、京都に行く予定の方はぜひとも連れていって聴いてやってほしい。