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執筆者の写真Yuma Dobashi Official

人類は愛おしい。

蟻が、自分より少しばかり大きな虫を運んでいる。

それが今日の彼と彼の家族の食料になるのだ。

彼は、服を買うために、家賃を払うために、映画を観るために、その虫を運んでいなかった。運ばれた虫はそのまま彼らの糧になる。



僕は、なんのために明日も仕事に出かけるのか。

生きていくためだけなら、食べて、寝て、の繰り返しで事足りるのに、それならなぜ、「畑」ではなく、土や食材とは直接関係のない「職場」へ赴くのだろう。


人間は、とかく色々なことをしたがる。

縄文時代だって、土器に模様をつけてみたりしていたのだから、現代と古に根本的な溝はないと考える。

蒸気機関車が発明され、洗濯機が発明され、車が当たり前になり、原子力がエネルギー源になったその発展は、人類にとってある意味で必然だった。


何かを求め、改善しようというインプットが1でもあれば、それは2以上になりうる。

その意思は、善かれ悪しかれ他の生物には見られない。


例えばカラスは賢いと言われているが、何も発明しない。

彼らの暮らしぶりは大きく変わっていない。

それは地球にとって幸いだと思う。

果たして、本当に賢いのはカラスか、人類か。



一説によると、蟻が全滅すれば地球の生態系は崩れるが、人類が絶滅すると地球環境は回復に向かう。と言われている。

そんな人類を、あなたはどう思うだろうか。

どれだけ否定しようが、地球にとって邪魔者だろうが、僕たちは人類に属する。


そして、それならどうしてこの世に存在するのかと思う。

本当に必要ないなら、それは誰が創造したのか。

根源はなぜそんなものを生み出したのか。

いつになったらその謎が解き明かされるのだろう。


一旦話はそれるが、そもそも必要不必要の分別をするのは、人間だ。

「戦争は悪だ。」「憎しみは良くない。」「感謝こそ素晴らしい。」「愛こそ全てだ。」

それらを生み出すのも、それらを判断し分別するのも、すべて人間だ。


蟻や他の生き物を見ていてよく思う。

”人間はやらなくてもいいことをやりたがる。それがためにいらぬ苦労をしたりもする。”


たとえばそれが喜びにつながるとして、その喜びは大金を使わないと得られないものか。

多くの労力をかけないと到達できないものなのか。

仏教の多くが、”それはその心に依存する”と説く。

全ての人が、小さなことで喜びを感じられる達人になってしまうと経済活動は止まってしまう。

しかし、そもそも経済というのはなんだろう。その親は「欲求」ではないのか。


そしてここからが今日言いたいこと。

まず、僕はブログを書きたくて書いている。そう、楽しいから書いているのだ。

書かなくても明日”生きる”のに一向に支障はない。

そして、今夜も明日もギターを弾く。曲を書く。やらなくても誰にも迷惑をかけないどころか、やらなければそれで頭を悩ませることもなくなるのに、やる。


音楽は必要か。絵画は?詩は?

美味しいものは?お洒落は?車は?旅行は?

すべて、欲しい。人は求めるのだ。


僕たちが死ぬときに、持っていける物はこの世に何一つない。


「だから」、今、持てるだけのものを持ち、やれるだけの”余計な”ことをやり、

”無駄に”苦労し、”激しく”喜び、欲しいものはおおいに欲しがり、それを得るために、模索し、衝突し、得られないことを嘆いたり、得られたことで大きな幸福感を得たりすればいい。と思うのだ。(ただし欲望を減らせば楽にはなる。)


と、同時に、考えなければならないことがある。

人は、何かを得るために、殺人を犯したり、何かを得るために、戦争をしたりする。

これのみを「非」とする完璧に論理的な文章がなかなか書けない。


ではなぜ疑うこともなく悪と見なすのか。欲望は怖い。

これはまたの機会に掘り下げることにしたい。どんなことも一つの側面から断言できない。



「蟻が全滅すれば地球の生態系は崩れるが、人類が絶滅すると地球環境は回復に向かう。」


そんな人類を僕は、なおも愛おしいと思う。


今夜の一曲

Michael Jackson - 「Heal The World」

https://youtu.be/BWf-eARnf6U



ありがとうございました!

おやすみなさいzzZ

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